私の好きな聖書の言葉

「私の好きな」と書きましたが、実をいうと、聖書の言葉の全体が、私に慰めと希望を与える言葉である
ということができます。私の好み、私の選択ということを超えた存在が、私を支えているからです。

あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。    

(イザヤ43:1)
わたしが主である。わたしのほかに救い主はない。 (イザヤ43:11)
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。 (エレミヤ29:11)
この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。 (ヘブライ4:15)
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 (ヘブライ11:1)
神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。 (1ペテロ1:3〜4)
あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。 (1ペテロ1:5)
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。 (1ペテロ5:7)
あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。 (1ペテロ1:18〜19)
あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。 (1ペテロ1:23)

「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」                       

(1ペテロ1:24〜25)
あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。 (1ペテロ3:3〜4)
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。 (1ヨハネ1:8)
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。 (1ヨハネ1:9)
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。 (1ヨハネ3:1)
神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 (1ヨハネ4:9)
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 (1ヨハネ4:10)
神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。 (1ヨハネ5:14)
『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』  (マタイ4:4)
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 (マタイ5:44)
空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。 (マタイ6:26)
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 (マタイ6:33)
人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 (マタイ7:1) 
人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。 (マタイ7:12)
狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。 (マタイ7:13)
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 (マタイ7:21) 
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 (マタイ11:23)
わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 (マタイ16:24)
これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。 (マタイ18:10)
自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。 (マタイ18:4〜5)
ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。 (マタイ18:12)
これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。 (マタイ18:14)
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。  (マタイ18:20)
あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 (マタイ18:22)
あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。 (マタイ26〜28)
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」』 (マタイ22:37〜40)
あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。   (マタイ23:12)
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』  (マタイ25:40)
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 (マタイ28:18〜20)


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