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他人を理解する 

 いまの日本社会がどうなっているのか、よくわからないことが多い。経済が停滞しているというのは、日常よく聞くことである。3月危機がいわれたが、それは過ぎて、次は夏近くだという。

 政治の世界にも、もめごとが多いらしい。鈴木宗男、辻元清美、加藤紘一、国会議員が新聞の大きな見出しになっている。これまでは官庁、とくに外務省が焦点だったから、外務省関係者はホッと一息ついているかもしれない。

 時評はそのときどきのできごとについて語ることだと思うが、世間の話題がこれほどあちこちに飛ぶと、語るほうもくたびれる。なるほど情報化社会と世にいうけれど、情報について歩いたら、頭の収拾がつかなくなる。

 こんなふうに話題が動く時代には、基本的なことを考えるほうがいい。政治や経済がどうであれ、日常生活はふつうに動く。たとえ戦争があったとしても、食 事はしなくてはならない。腹が減っては戦ができないのである。個人の脳では、天下国家をどう思うかと、昼飯になにを食べるかとが、同居している。脳は一つ しかないから、片方を考えているときにはもう片方は考えられない。

 4月になると、私の日常に変化が起こる。新学期になり、新しい学生が入ってくるからである。今度はどんな学生たちか。昨年より活発だろうか、よくできる子がいるだろうか。新しい若者たちに毎年触れることが、大学という組織に関わることの唯一の利点かもしれない。
 世の中の変化につれて教育も変化する。相手があることだからそれで当然であろう。しかし変えるべきことと、その区別も歴然とあるはずである。

 このところ私が学生に強く言うことは、個性についてである。個性を発揮せよというのではない。逆である。若者が個性を主張したところで、そんなものは ラッキョウの皮むきだという。いくら自分を吟味したところで、たかだか20年しか生きていない人間に、それほど中身があるわけがないじゃないか。もちろん 学生が反発するであろうことは、百も承知である。

 個性を強くするには、若者を自由にしておけばいいか。おそらく違うであろう。なぜなら江戸から明治という、社会の強制力の強い時代には、むしろ個性的な 人物が輩出したと思われるからである。社会に反発する力が、自分のなかでゆっくり吟味され、醸成されていくとき、強い個性が生じてくる。そうに違いないと いう思いがある。 

 世の中で生きていくとき、他人の心がわかるか、わからないかで、大きな開きが出てくる。どのような社会で生きるにせよ、人は単独に生きるわけではない。それなら他人の心を理解することは、人生でなにより大切なことであるはずである。

 私はわかいころから、変わり者扱いを受けてきた。たぶんいまでもそうであろう。しかし、自分が変わっているという認識があれば、自分の行動を世間に合わ せて調整しようとする。逆に自分がきわめて当たり前の常識的人間だと思えば、自分がすることを世の当然だと思ってしまう。鈴木宗男議員は、じつはそういう 人ではないのか。自分のすることを当然だと思っていなければ、恫喝(どうかつ)に類することまで、できるはずがない。

 だから個性を伸ばすなどという、バカなことを考えるなと、私は学生にいう。それより友達の気持ちが、本当に自分にわかるのか。友達ならわかるかもしれないが、親兄弟ならどうか。医者の卵、看護婦の卵であれば、患者さんの気持ちがわかるだろうか。

 それを真剣に考えるなら、個性もクソもあるまい。他人がわかることは、他人と「同じ」だということだからである。こういう状況では、人はなにを思い、なにを感じ、どう考えるのか。それを広く知ることが、「学ぶ」ということであろう。

 デカルトはこれを良識と表現した。良識はだれにでも与えられている、と。いまどれだけの人が、だれにでも良識が与えられていると信じているだろうか。鈴 木議員、加藤議員、辻本議員は、、ずいぶん大勢の人に支持されて当選したはずである。それだけ良識のある人たちのはずが、どうしてそうでないように見える のか。選挙民はその「個性」を買ったのではないか。私はそれを疑う。

 大学教授の人事選考で、人柄のなどというのは、時代遅れだ。そういう感性が生じて、もう長いことになる。なによりも業績ではないか。

 それも一理ある。しかし人間のことがわからない人とどちらが困る人だろうか。自分は仕事はあの人よりできない。正直にそう思うことができる人なら、できる人の上に立っても無理なはずである。組織を知る人ならだれでもわかるはずである。

 個性尊重はそれなりに大切であろう。しかし教育では、他人の心を理解すること、それを教えることが、同じように、あるいはそれ以上に、大切なはずである。

 私はしばしば他人の心がわからないから、むしろ変わり者で通してきた。それは個性かもしれないが、べつに威張るようなものではない。他人の心がわかったほうが、いいに決まっているのである。私だって、他人の心がよく理解できるなら、はるかに偉くなっていたはずである。

 新学期に当たって、私がいま思うのは、その程度のことに過ぎない。

養老孟司 : 著 : 他人を理解する : 「時代の風」 朝日新聞2002年4月14日朝刊