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夢たちへ

 二月十四日(月)。朝の全校集会で、在校生に今年度限りで母校を退職することを告げた。泣き虫だった奴、強がってばかりだった奴、ひねくれ者だった奴、問題ばかり起こし続けた奴、ひたむきに頑張り続けてきた奴、今まで関わってきた一人ひとりをステージから見つめると、その姿がひどくぼやけていた。きっと私は泣いていたのだろう。

 私にとって母校を去るということは、決して簡単な決断ではなかった。北星余市高校は私の夢だった。私のこれまでの人生の全てだった。母校を去ることは、これまでの全てを失うということさえ意味するものだ。今は家族だっている。買ったばかりの小樽の自宅には一年も住んでいない。しかし、それでも私は苦しみに苦しみぬいた末、母校を去ることを決意した。

 たくさんの人たちから、母校を去る理由について質問をされた。しかし・・・・・やはり全ては話せない。それを話してしまったら、私が今まで残してきた言葉や情熱さえ、全て崩れてしまうか

ら・・・・・。

 私は生徒たちに言った。「ニ00一年秋の大麻事件以降、北星余市は廃校の危機に直面してしまった。そんな中、俺は母校を守りたい、そのためにできることはなんだろう、そればかりを考えてきました。日本中を走りまわって北星余市の教育を世に発信し続けました。生徒指導部長という大役を引き受け、ある意味、憎まれ役にも徹してきました。それ自体、俺には何の後悔もありません。でも一つだけ、みんなを前にして今はっきりとわかること、それは、北星余市を守ってきたのは、俺なんかでは決してなく、みなさん一人ひとりだということです。これからもこの場所を守っていって欲しい。ありがとう・・・・・」

 それ以上は、うまく言葉にすることができなかった。

 夜から明け方にかけて、たくさんの生徒たちから私の携帯電話にメールが寄せられた。

 生活指導部長として生徒たちを怒ってばかりいた二年間だったのに、なのに彼らは、「ありがとう」「「頑張れ!頑張れ!」「感謝してる」「絶対に私たちの卒業式には来てね」「俺は義家がどこにいっても義家の生徒だよね」・・・・・たくさんの温かいメッセージを送ってくれた。一晩中、涙が止まらなかった。

 時には道に迷うこともあるだろう。しかし今、お前たちはしっかりと自分の足で立っている。俺はみんなにとってただの『きっかけ』でしかなかったんだ。本音を話そう。俺はずっとずっとお前らとこの場所で生きていきたかった。お前らの成長を見守り続けたかった。今の俺にいえるたった一つの本音だよ。

 俺はこれからも教育という営みと共に歩いていく。みんなに恥じないように、俺も逃げずに歩いていくよ。お前らは俺の夢だ。お互いこの時代を思いっきり生きていこうな!

義家弘介 : 著 : ヤンキー母校で吼える : 週刊文春3月3日号 : 文芸春秋社