Home Page Image
   
 

 

 

 

橋の下を緑の水は流れ

 目をさますと、バスは村にさしかかっていた。日曜日の午後の陽光に、紅(あか)くもえはじめた森がけぶっている。家々の壁に残る銃弾の跡 が、戦地であったことを思い出させた。学校、雑貨屋、教会、そして家、家・・・・・・。大きくはないその家の庭は、黄金色の木の葉に埋もれていた。玄関に 続く三段ほどの石段も、柔らかな木の葉にしきつめられ、今日は、まだ訪ねてきた人がないのだろう。住む者はないのか。家は私たちをいざなっている。

 この道をナーダおばさんの家族も、あの夏、トラクターを走らせて長い旅をしたのだった。九五年の八月、激しい鉄の雨に打たれ故郷を追われた人々の長い列 は、ここを通っていったのだ。「お別れに、牛が大きな眼から涙を流していたよ。

牛も泣くんだ。どこまでもどこまでも、私たちの後をついて来た よ・・・・・・」。八日も九日もかかって、やっとたどりついたベオグラードの親類の家で、ナーダおばさんは私に言った。「村を出るとき、いつもよりたくさ ん餌をやってきたの。鶏も豚も小屋から逃がしてあげた。でもね、私たちなしで、どうやって生きていくのいかしら。毎晩とっても心配で、眠れな い・・・・・・」と。

 牛たちは、どうしただろう。鶏、豚、犬、猫。そして、こども。人間たち。バスは言葉にできない想いを乗せ、ゆっくり細い鉄の橋をわたりはじめる。その下 をゆったり緑の水が流れてゆく。私たちは大きな海の一粒の涙のようなものだと思ったわ、と、あの夏に会ったダニツァ先生は言った。その言葉を思い出してい た。陽(ひ)は翳(かげ)りはじめ・・・・・・。

山崎佳代子 : 著 : 「橋の下を緑の水は流れ」 : こころの風景 : 2003年12月10日朝日新聞統合版