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ぼくたちは待つことがますます苦手になっていないか。大人は子どもが待てない。老人や障害者の「遅さ」が我慢できない。充分に効率的でない自分を責め、急(せ)かせる。

 生きものたちの時間を、大地のゆったりとしたペースを、ぼくたちは待てない。だから再生可能な速度をはるかに超えるスピードで資源を消費し、通常より4倍速く育つ野菜や、10倍速く育つサケを開発し、地球が手に負えないほどの速さでゴミを出し続ける。

 待てないということ。それは相手が自然であれ、人間であれ、共に生きるのが下手だということだろう。愛することがますます困難に感じられてはいないか。なぜなら、待つこと抜きの愛はありえないのだろうから。

 エクアドルの北部沿岸に、ぼくが勝手に「エスペランサ」と名づけた町がある。雨季には毎日断続的に雨が降り、道は泥だらけ。窓という窓にはいつも人々の 姿がある。道行く人と挨拶を交わしたり、外で遊ぶ子らに気を配ったりする他は、皆何かを、そして誰かを待っている風情だ。何時間経っても何日経っても待ち くたびれる様子がない。

肖像画の人物のように窓枠に馴染んでいる。1年後、2年後に、同じ窓に同じ人たちがいて、このぼくが戻ってくるのをじっと待ってい てくれたのだと知っても、ぼくは驚かないだろう。

 エスペランサとは希望。その動詞のエスペラールにはふたつの意味がある。ひとつは「望む」、もうひとつは「待つ」。この町では生きることと待つことが溶け合っている。

辻 信一 : 著 : 「エスペランサ」 : こころの風景 : 朝日新聞2004年11月2日統合版