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芝生をこえて

 70年代末、アメリカに移住したぼくは、芝生の風景に衝撃を受けた。この風景について考えることでぼくの人類学は始まった。

 アメリカ中どこでも、人が住むところは必ず芝生が広がっている。まるで国中が、この均質な風景で広大な大陸を覆い尽くすという目的の下に、一致団結しているかのようだ。

 自然の管理、支配という文化的なテーマを、芝生はあまりにも率直に表現している。米国の歴史を通じて、それは政治的、宗教的、経済的な権力や力を誇示し、また「野生」に対する文明の優位を象徴する記号でもあった。

 しかしよく見れば、一見支配的なこの風景にも多くの裂け目がある。庭での食物づくりを優先した第二次世界大戦中の素人農民たちから、今日のオーガニック 派まで。芝生を刈ることを拒否して、町を追われたヒッピーたち。小さな空間にエスニックな箱庭を創り上げてしまう少数者たち。庭そのものへの無関心によっ て、白人文化を拒絶するかのようなゲットーの黒人や居留地のインディアン。

 そして今や、芝生は大地にも見放されつつある。温暖化による水不足、過放牧による地下水の低下、土壌の流失などによって大陸の砂漠化が急速に進んでいる。農場だけでなく、芝生もまた化学肥料、農薬、遺伝子組み替えによる種汚染にまみれている。

 短く刈り込まれ、自動水撒き装置のシャワーの下で青々としている芝生。そんな風景によって象徴されてきたアメリカ文明という物語に、今、風化と空洞化が進行している。

辻信一 : 著 : 「芝生をこえて」 : こころの風景 : 2004年11月9日朝日新聞統合版