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死者の日

 この季節にはメキシコの「死者の日」を思い出す。人間には、生者と死者の二種類があることを、ぼくはこの異郷の祭りから学んだ。

 その日が近づくと、街じゅうが骸骨(カラベラ)の絵や人形で賑(にぎ)わう。パン屋は骸骨パン、菓子屋は骸骨の砂糖菓子でいっぱい。人々はそれらを積み 上げて祭壇をつくり、ロウソクの火を灯(とも)す。当日は、花々で飾りたてた墓地で宴をはる。それは、死者をめぐる暗く、厳粛な儀礼のイメージとはかけ離 れた、陽気で、ちょっとユーモラスな交歓の場だ。

 メキシコ人版画家ポサダは骸骨画で有名だ。骸骨の男女が愛し合い、骸骨の独裁者がふんぞり返り、骸骨革命化が骸骨の革命軍を率いる。そこでは生きている人々が死んでいるようであり、死んでいる人々が生きているようでもあって、生者だけが偉いのではない。

 国境の北、米国で長く暮らしたぼくは、生きていることにだけ意味がある、という考えを空気のように呼吸していた。そこでは死とは、突然やってくる事故の ようなもので、死者はそれっきり消えてしまって、風景の中に留まらない。いや、生きているだけでは不十分なのだ。元気で生き生きしていなければならない。 若く美しくなければならない・・・・・・。

 日本でも、生きている者だけのヒューマニズムが、ますますぼくたちを生きづらくしてはいないか。死者の見える風景に乏しいこの世界は寂しい場所だ。そこには、すでに逝った者ばかりでなく、これから生まれ、死んでいく者たちを想像し、思いやる力が欠けているから。

辻信一 : 著 : 「死者の日」 : こころの風景 : 2004年11月10日朝日新聞統合版