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あきらめたから、生きられた

 ある人が言うには、あきらめるって仏教の言葉らしいんだ。

 それも悪い意味じゃなくて、あきらかにする、あきらかに見るっていうことだって。

 漂流しているとき、なるほどその通りだって思ったよ。だって、水がもうないってことはあきらかなんだから。水はないんだぞってことを、ちゃんと自分にも納得させるっていうことが、あきらめるってことなんだ。

 自分の状況をあきらめれば、いろんなことが見えてくる。水はもうないぞ、でも自分は生きている。手も足も動く。だったら、その動く範囲で何かはできるはずだって。

 そのできることは、とりあえずやっとこうと。とりあえず、だよ。

 とりあえずで、いいじゃないの。とりあえず、魚釣ってみた。とりあえず、海の水を沸かしてみた。とりあえずの繰り返しで、俺はなんとか生き続けたんだもの。

 あきらめて、あきらめて、とりあえず、とりあえず何かやって、あの37日間を生き抜いたんだもの。

 俺は、頑張って生き延びたわけじゃないんだ。頑張って、必死になってたら、きっといまここにはいられないだろうと思うんだ。

 頑張り続けることは、しんどいもの。頑張り続けていたら、きっとどこかで、息切れしちゃってたと思う。他の人のことはわかんないけどさ。

 俺は頑張らなかったから、生きられたんだ。

 だから俺は、辛い目にあっている人に言ってやりたい。

 頑張らなくっていいんだよ。力を抜いていいんだよって。それで、とりあえず、自分にやれることをやったらいい。疲れたら、休みながら。とりあえず、できることだけやってみようって。それでいいんだよっ、て。

武智三繁 : 著 : 「あきらめたから、生きられた」 : 小学館

武智三繁さんは、2001年夏に漁船のエンジントラブルで、37日間太平洋上を漂流して奇跡的に助けられた人である。食料も水も無く、世間からは絶望であると思われていた。しかし、その間、食料が尽きれば漁をしたり、水が無くなれば海水を沸かして塩分の無くなった蒸留水を飲んで生きのびた。

現代は、簡単に自分の意志で自分の命を絶ったり、自分よりも力の及ばない者に暴力を振るうことが日常的になっているような不健康な時である。

武智さんのように、絶望と考えられる状況でも、希望を捨てないで、自分の置かれている状