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私の半生は、すでに人の知る通りであって、多くは自分の不明から、いたずらに無用の波瀾をかさねてきたわけであるが、しかしその間、ただわずかに誇りうるものがあるとすれば、それは、いかなる場合に処しても、絶対に自己本位に行動しなかったという一事である。

 子どもの時から今まで、一貫して、どんなにつまらない仕事をあてがわれた時にも、その仕事を本位として決して自分に重きを置かなかった。だから世間に対 し、人に対し、あるいは仕事に対しても、いまだに一度も不平を抱いたことがない。

またこれと同様に、あるいは他人から見てはうらやましがられるような境遇 にいる時でも、自分に重きを置くことをしなかったため、特別によろこぶ気も起こらない。 (中略) 私も今日までには、ずいぶんひどく困った境遇に陥った ことも一度や二度ならずあるのだが、しかも、食うに困るから助けて下さいと、人に頼みにいったことは一度もない。

 いかなる場合でも、何か食うだけの仕事はかならず授かるものである。その授かった仕事が何であろうと、常にそれに満足して一生懸命にやるなら、衣食は足 りるのだ。ところが多くの人は、現在困っていながら、こんな仕事ではだめだとか、あんな仕事がほしいとかいっているから、いよいよ困るような破目に落ちて ゆくのである。

 何か仕事がなければ、到底独立してゆくことのできない者は、仕事を本位とするより仕方がないではないか。そして仕事を本位とする以上は、その仕事の性質 がどんなものであろうとも、ただ一心になってそれを大切に努むるばかりである。こうすればどこにも不平の起こるべき原因がない。

よい地位にあがったからと いって欣喜雀躍するはずもなければ、またその地位がさがったからといって、失望落胆することもない。すべて己れを本位とすればこそ、不平も起こり失望も起 こるのだ

津本 陽 : 著 :「生を踏んで恐れず〜高橋是清の生涯」 : 幻冬社