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夫が妻に、妻が夫に、そして親が子に、子が親にと、親しき者同士がお互いにと残し合う最大の遺産は何でありましょうか。金銀、財宝、書画、骨 董、動産、不動産、それに事業など、それはいろいろありましょう。けれども昔から「泣く泣くよい方をとる形見分け」とか、いやな言葉ですが「兄弟は他人の 始まり」とか申します。ところが最近はこれらがあるために、親子でさえ仇同士に陥らされる世の中です。親子を仇同士に陥らせるものを、いかに価値あるもの といえど最大の遺産とは申せませぬ。むしろそれは魔物です。
 それでは何が最大の遺産なのか。敢て申し上げますならば、厳粛な死それ自体がこそ最大の遺産です。その死をいかに受けとめ、その死をどのように受けとら せていただくのか、そのお命を生かさせていただくことがあとに残ったものの、先にお亡くなりになったお命への最も大切なつとめであります。夫婦においても そうでありますが、親子においてもなおさらにそうであります。特に親たるものは、永遠に生き続ける親子の対話の場を、親の姿で子どもの心の中に残してあげ ていただくことを願います。その親の姿は決して肉体の姿のみ申すのではありません。精神的な姿勢を親の願いを含めて私は後姿と申すのであります。終始いく 度となく申しのべてまいりましたこの親の後姿で子どもの心の養いとお導きを、お互い親として願い合いたいものでございます。
 子どもの心は親の姿色に染まります。


 私はときどき色紙に「忍」という一文字を大きく、そして「土石転じて金銀と成る」と書きますが、忍の心があるとき、土くれや石ころもやがて金銀になってくれるのです。辛抱こそが何ものにもかえがたい宝をつくりあげてくれるのです。
 忍ぶ心こそ何にもまして強いということですが、私たちにはいまそれが欠けているために無用な対立抗争が多すぎるのではないでしょうか。


 羯諦羯諦(ぎゃあていぎゃあてい)は、行こう行こうということ。波羅羯諦(はらぎゃあてい)は、さあ行こう。波羅僧羯諦(はらそうぎゃあてい)はみんな で一緒に行きましょう。ですから、ひっくるめて申せば「行こう、行こう、さあ行こう。みんなで行こう、心を合わせ、力を合わせて、幸せの、あこがれの、理 想の彼岸の世界に行きましょう」ということになります。
 力を合わせ、心を合わせて、幸せな世づくりに励みましょう、ということです。


生きるとは
 つらき別れを
重ねつつ
 おもき思ひに
堪えてゆくこと



「游於藝(げいにあそぶ)」(『論語』)

 この言葉の意味は、人生は良い趣味を持ち、教養を豊かにすることが大事である。それは自分だけのことではなく、世の中をあたたかくするために、各人が社会に生きる人間として果たさねばならない、大切なつとめであるという教えであります。


 宗教というのは、佛教であれキリスト教であれ、天理教であれ金光教であれ、教え方説き方は違っていても底の心はただ一つでなければいけません。神佛の前に敬虔な姿をもち、謙虚な心をもってぬかずくということです。無我の心なのです。
 自分以外のものを認めないというのは自我です。これは宗教のもっとも基本的態度、もっとも基本的資格を自ら忘れ果てている悲しい人々であります。お互いが価値を認め合う豊かな菩薩の心に目ざめたいものです。


高田 都耶子 : 編集 : 「心の添え木 父--高田好胤の書とことば」 : 講談社