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もうひとつの幸福のルール

 世界は、哀しみに満ちている。
 中東では、凄惨な殺し合いが続いている。アフリカでは、何万という人々が飢餓とエイズで死んでいく。

「あなたはこの現実から目をそむけるのですか?」と青年は尋ねた。今から十年ほど前のことだ。
 私はその問いに、生真面目に答えた。
 世界じゅうで今も、罪のない命が失われていることは知っている。しかしそれは、私の人生とは関わりのない出来事だ、と。

 彼は、怪訝な顔で私を見た。

 その青年は、不正義や、暴力や、悲惨な現実を前に苦しんでいた。無力な自分に対し、抑えきれぬ怒りを持て余していた。

 私たちは、世界が不条理なものだということを知っている。自分一人の力ではどうにもならないものだと諦めてもいる。だが彼は、それが許せなかったのだ。
 彼の純粋さには、心を揺さぶる力があった。しかし、それを素直に受け入れるには、私は少し歳を取りすぎていたようだ。

 人は誰でも、ある種の生き難さを抱えている。それは、家族との確執や職場での鬱屈だったり、異性への実らぬ思いだったりする。
 私たちは、「自由」な社会に生きている。だがそこで、すべての欲望が満たされているわけではない。

 社会は、あなたの自由にならない多くの他者によって構成されている。他者もまた自由に生きる権利を持っており、あなたはそれを侵害することができない。

 人を好きなように操れるなら、すべての願いは叶うだろう。だが現実には、社会の中の無数の自由を共存させるために、ほとんどの欲望はあらかじめ禁じられているのだ。私たちは往々にして、この生き難さを他に転嫁しようとする。
 青年は、世界じゅうの不正義と戦っていた。絶対的な悪に苦悩する自分は、常に純真無垢なのだ。

 彼は、自分の苦悩が世界を正しい方向に変えると信じていた。さらには、自らの手で理想の世界を一挙に実現しようと考えた。
 私が出会ったとき、彼はあるカルト教団の信徒だった。その教団は”救済”の名の下に多くの罪を犯した。

 数ヶ月後、彼は教団からひっそりと姿を消した。失意のうちに田舎に戻り、やがて結婚をし、子供も生まれたと聞いた。
 私も含めほとんどの人は正義のために生きてなどいない。自分と家族の幸福を守るために生きている。

 たとえ遠い世界で多くの命が奪われようとも、私たちの日常は変わらない。だから、ニュースを見ながら小さなため息をつき、日々の仕事へと向かうのだ。
 理不尽な世界の中で、私たちは目の前にある問題を、一つ一つ解決していくしかない。今なら彼も、そのことがわかるだろうか。

橘玲 : 著 : 「日曜日の人生設計」 : 2003年3月30日 日本経済新聞