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<早苗といふは>

早苗といふは、わがははそはのおん名なり。
顔知らず生別れし母のみ名なれば
われはいたくなつかしみ
学舎に漢字を覚ゆるや
火箸もて灰に記せり。
早苗
早苗、
囲炉裏の火はしばしば消えかかり
おどろきて掻きくべしかな。
早苗は五月そよぐ陸稲の苗。
彼の淡雪しのぎ萌ゆるなずなの芽。
母よ、
うつし身は遠く去りたまへど
そのおんな、羽衣のごとさづけたまへり。
伽羅の香にぞます。

島崎光正氏は、生まれながら二分脊椎という神経系の病気を持ち、両下肢が不自由でした。そればかりでなく、お父さんは医者でしたが島崎氏が生後1ヶ 月のときに患者さんのチフスが感染して死んでしまいます。お父さんが亡くなったとき、お母さんは23歳でしたが、島崎氏をお父さんの実家信州に預けて、実 家の長崎に帰ります。お母さんは、翌年お婆ちゃんとお父さんの墓参りをかねて信州に島崎氏に会いに来ます。しかし、長崎に帰る時塩尻駅で、お母さんは子供 との離別に耐えかね、列車から飛び降り、取り乱しながら島崎氏を抱き喜びました。しかし、お婆ちゃんと長崎へ帰ることになりますが途中の福岡で下車し、お 父さんが勤めていた大学病院の精神科の病棟に入院したままその後20年後に亡くなります。島崎氏は小学5年の時、育ての親の信州のお婆ちゃんからこの話を はじめて聞き、お母さんの自分への愛を痛みを持って受け止めます。そしてどのような障害があろうとも、その前に沈黙し勇気を以って生きてゆかねばならぬ責 任を痛感します。この詩は詩作の初期に、突き上げてくるお母さんへの思慕より生まれたものです。島崎氏は生命倫理上、遺伝子診断により、自分も負っている 二分脊椎という先天性の障害が選別され排除の対象となることに反対していました。島崎光正氏は、人間のいのちの創造は神のみ手により、しかも神と人との愛 の痛みのうちに送り出されていて、一人一人の人間が尊厳を持ってその存在が尊いものであることを祈って止まない生涯でした。

島崎 光正 著 : 「いのちの尊さ」より : 信徒の友2001年1月号 : 日本基督教団出版局