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島田修二氏を悼む

 この九月十二日の朝、歌人の島田修二氏が脳出血で急逝された。七十六歳。江田島の海軍兵学校で、敗戦を迎えられた人である。半世紀にわたる交遊のあった私は、大きな衝撃を受ける。

・ ただ一度生れ来しなり「さくらさくら」歌うベラフォンテも我も悲しき

 昭和三十五年に来日したベラフォンテは、差別と闘ってきたアメリカの黒人歌手。アンコールで歌った「さくらさくら」は、哀切なものだった。アメリカに隷属する日本人として、ともに選択肢のない存在を悲しむ。

・ 肩を落し去りゆく選手を見守りぬわが精神の遠景として

 競技場のゲートへと消えていく敗者。うなだれた肩に、暗澹と生きてきた自分の姿を見る。

 「孤独派宣言」を書いた宮柊ニに、氏は師事する。長兄の戦死、軍国少年の挫折に始まり、さらに身体障害児の父となったことも、こうした宿運の悲哀や痛みに敏感な作風を生じる、その要因であったかもしれない。

・ 幾百のまなこ累(つら)なる夜の街に砦のごとき場所捜しゆく

 深夜、帰宅する車窓の歌。灯火の照り翳りする光景から、平安な場所を探しもとめる。自分を失うまいとして、その拠り所を探るが、容易に見つからない。

・ サラリーの語源を塩と知りしより幾程(いくほど)かすがしく過ぎし日日はや

 古代ローマの兵士に、塩を買うために金が与えられた、その塩金がサラリーの語源。いくたびか仕事を辞めようとしたが、給料は生きるための塩と割り切ってから、かなり仕事に怯(ひる)まなくなったと、自分をいたわる。

 これは新聞記者を五十歳で退く時期の歌で、いかに公私ともに辛苦の抗争を経られたかが、これらからもうかがわれる。

 柊ニが主題とした「孤独」を継承したが、さらに現代人の都市生活の場で、知性にみちた批評眼の?れるものであった。人間の詩が詠める歌人であり、貴重な存在をなくしてしまった。

篠 弘 : 著 :島田修二氏を悼む : 現代人の「孤独」 : 2004年9月26日毎日新聞統合版