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わが上には

神様
あなたは私から父を奪われました。母を奪われました。
姉弟もお与えになりません。
その上、足の自由を奪われました。
松葉杖をお貸しになり、私はようやく路を歩きます。
電柱と電柱のあいだが遠く、なかなか早く進めません。
物を落としても楽に拾えません。
乳のにおいを知りません。
母の手を知りません。
私は何時も雪のつもった野原の中に立っていました。
鳥の羽も赤い林檎の実も落ちていませんでした。
私は北をたずねました。
けれども、知らない人は答えました。それは南であろう
 と。
私は南にゆきました。
また別の人が答えました。それは、北であろうと。
生まれてから三十年経ちました。
私は今、机の上にかさねたノートを開いてみるのです。
此処には悲しみの詩が綴ってあります。
神様
これはあなたのたまものです。
恐らくこほろぎの鳴く夜ふけ
母ある者は、布団の裾をたゝかれ安らかに眠りについたで
 しよう。
妻ある者も抱き合いながら眠っていつたでしよう。
母はふたゝび起きて見るでしよう。
けれども、私は眠らずに覚めて書きました。
こんなにぎつしり
落花のように手帳を埋めました。
足ある者は、遠く旅立つひまに
私は更に埋めました。
おお 幾歳月・・・・・・・
私の詩は琴のように鳴りました。
森のように薫りました、いたみは樹液の匂いを放ちました。
神様、これがあなたのたまものです。

島崎 光正 著 : 詩集 故園・冬の旅抄 : 日本基督教団出版局