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愛することを伝えたい

 雪の中を北海道の余市へ行く。ヤンキー先生義家弘介(よしいえいろゆき)さんの著書や、対談やテレビ出演等ですっかり有名になった私立北星学園余市高等学校の四十周年記念のセレモニーで講演するためである。

 これは去年の秋、義家さんが私が館長をしている徳島県立文学書道館主催の講座に出講してもらった返礼である。予算の乏しい文学館の講師料は文字通り雀の涙ほどだったが、義家さんは只(ただ)でも行くと快く来徳してくれた。その講演は満席の盛況で、聴衆は感動して大成功を収め私は面目をほどこした。

 生後まもなく両親が離婚し、生母の顔も知らず育った少年は、父と後妻の間に生まれた弟と、父に溺愛(できあい)されている姉に嫉妬し、次第に心の闇を深めていく。中学時代から「不良」と呼ばれ、高校を退学させられ、親からも絶縁され、児童相談所を経由し、里親に引き取られる。その人は、そういう行き場のない子供を預かって家族のように扱ってくれる奇特な人である。「里親会」の会長の曽根川さんであった。

 食事の時だけ、一緒に席につくこと。曽根川さんの出した条件はそれだけだった。持て余す暇の中で、孤独な不良少年は、その家にあった本を片っ端から読みふけった。嫁いだその家の娘さんの本棚は、文学書や哲学書で埋まっていた。はじめて自分の前途に考えをめぐらせるようになっていった。

 一年過ぎた頃、里親が、新聞記事になっていた余市にある高校の話をした。過疎化で生徒が減り、廃校間際になった高校が町ぐるみで協力し、下宿の面倒も見ることにして、高校中退者を、辞めた学年から受け入れようととしたのである。弘介少年はその学校に飛びついた。

 北星学園余市高等学校の二年間が、不良少年の生涯の転機になった。彼はそこで安達俊子というすばらしい担任の先生にめぐりあった。その先生の無償の愛のぬくもりが、凍えきっていた少年の心をとかした。彼は自分をまともな人間にしてくれた母校に恩返しがしたいと、今ではその学校の先生になっている。

 小樽から車で三十分ほど走りつづける。小さなトンネルを過ぎると、右手に昏(くら)い海が広がっている。海以外はすべて雪。何とも淋しい風景だ。傷心を抱いて、はじめてこの道を高校に向かった少年たちは、この風景にどんな想いを抱くのだろう。

 たどりついた北星学園余市高校は、雪に埋もれるように建っていた。小ぢんまりした白い校舎の屋根に十字架が聳(そび)えていた。私はうかつにもこの学校がキリスト教の精神で支えられていたとは知らなかった。その十字架を仰いだ時、はじめてさまざまな胸の疑問が一挙ににとけた。

 私の逢った義家さんからは、宗教の匂いも雰囲気も感じたことはなかった。しかし、考えてみれば、恩返しだといって母校のために身を捨てて教師の仕事に打ちこんでいる彼の姿に宗教的な香気があった。

 「おれは罪人だから」

 という何気ない口ぶりの繰り返しも、今うなずけた。彼が信じる信じないにかかわらず、このさいはての学校に招かれたどりついた運命の転機は、「何もの」かの光に導かれてきたのだとうなずけた。

 「ヨシイエはいつでもやりすぎなんだよ」

 と教え子に言われる熱血漢は、いつでも燃えている。燃える過剰な情熱の熱さだけが、傷ついた少年少女の心を包むことが出来るのである。熱い心で抱きしめてやること、それがおれの教育法だとヨシイエ先生は語る。教育とはそれしかないと私も信じている。そうすれば相手の悲しみも苦しみも、胸から胸へ伝ってきて、ことばはいらなくなる。相手の心を開かせないで、何の教育が出来るというのだろう。教育に一番必要なのは、設備や教材や規則ではなく、教師の愛の熱なのではないだろうか。

 四十周年記念の学校のセレモニーは、とどこおりなく進んでいった。

 私は学校に入り、すれちがう生徒たちからつぎつぎ礼儀正しいお辞儀をされたことにまず愕(おどろ)いた。

 彼等はまっ直ぐ、私の目を見つめて、頭を下げてくれる。

 太鼓もダンスも、統制がとれていきいきしていた。どれだけの稽古が費やされたか十分想像出来た。

 客席には、生徒席の後ろに保護者や町の人々の席が設けられていた。私に与えられた時間は一時間だった。

 私は四十分ほど話をした後で、生徒たちとの質疑応答に切りかえた。私の話を目を輝かして、肩を乗り出すように聞いていてくれている彼らを見ていたら、もっと彼等と直接会話をしたいという想いがこみあげてきたからだった。

 予想通り、彼等は次々手をあげて、質問してくれた。

 「自分の弱さをどうやって克服できるだろうか」

 「将来の目的がまだつかめない。そのあせりをどうしたらいいか」

 みんな真剣に自分を見つめている。私は一人一人に私の今の想いを伝えた。私が彼等を文句なしに好きになったように、私もまた彼等に受けいれられているという手応えを感じていた。生きるとは愛することだ。人は愛するためにこの世に生まれたのだ。自分に誇りを持てと私は声を大きくしていた。

瀬戸内寂聴 : 著 : 「雪の中の若者たち」 : 時代の風 : 毎日新聞2005年2月13日統合版