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晴佐久昌英 の言葉2

 

恐れる

 愛の反対語は憎しみではない。憎しみは屈折した愛だからだ。
憎しみすら感じない無関心こそ愛の反対語だという考え方もある。しかし、それでは関心があれば愛が働くかというと、そうとも限らない。
愛の対極にあって、愛の働きを封じる力、それは恐れだ。恐れこそ、自らを闇へ閉じこめ、人と人を限りなく隔ててしまう。愛の完全な反対語だ。
恐れは誤解を生み、猜疑心(さいぎしん)を育て、時に人を悪魔的存在にしてしまう。
かつて東西の冷戦を支配していたのは、恐れだった。東の恐れがベルリンの壁を造り、西の恐れがベトナムで戦争を始める。恐れは更なる恐れを招き、国内では相互監視システムだの秘密警察だのといった抑圧と暴力を生み出し、国外に向けては過剰な核ミサイルを配備して緊張が高まっていく。
しかし、人々が自らの恐れに打ち勝ち、連帯して自由を叫んだとき、独裁は崩れ、壁が消え、冷戦は終わった。それも、いともあっけなく。戦うべき敵は東でも西でもなく、自分自身の恐れだったのだ。
外国の話ではない。自分の現在が知らぬ間に恐れに支配されていることに気づいているだろうか。他人を恐れて自分らしさをなくし、変革を恐れて閉じこもる日々。恐れによって生まれる過剰反応や、つまらない疑いと争いの数々。いったいぼくらは何を恐れているのだろうか。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という。夜道を歩いていて突然ふわりと揺れる影。思わず「出た・・・・・・」と叫んで腰を抜かし、しかしよくよく見ると、風に揺られるすすきの穂でした、という意味だ。すすきに罪はない。人が自分で勝手に恐ろしげな幻影を作りだし、自分で勝手におびえているのだから。その恐れのために、どれほど自分を見失い、どれほどの愛を失ってきたことだろう。
恐れずに人と向かい合いたい。内なる国境の鉄条網を取り払って、歩きだしたい。そうして初めて、一緒にいても遠かった人と出会えるのだ。その出会いの喜びは、さらに恐れと戦う力を与えてくれる。この世に克服できない恐れは一つもない。すべての恐れは、自分で作っているものなのだから。
あなたの恐れが、あなたの孤独だ。

晴佐久昌英 : 著 : 星言葉 : 女子パウロ会