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人生は旅

 若いころには「人生は勝負だ」とか「人生は賭け」だとか考えていた。学生時代からフレッシュマンのころにかけて大病をしたこともあるし、麻 雀、パチンコ、花札とギャンブル好きだったこともある。

当時、女性解放運動の市川房江女子が「若いころにみんなに好かれるようじゃ駄目だ。若いころには敵 がたくさんいても自説を主張すべきだ」というコメントが出て我が意を得たりと胸を張ったことを覚えている。よく遊んだが、よく勉強もした。

遊びの中でも麻 雀はよくした。麻雀は頑張らなければ概して成功しないが、運もかなり左右するのが面白かった。頑張っても駄目なこともある。それが人生を象徴しているよう にも思った。若いころから中年にかけて、かなり自信をもっていた。自宅は鎌倉にあったが、駅に出るまでバスで八幡様の前を通った。八幡様は戦の神様である と信じていた私は、その前を通るごとに不遜にも「神、我れに試練を与え給え」とうそぶいていた。少々失敗しても、すぐに取り返す自信があった。

 私が50歳ころは、浜松医大の教授をしていた。妻が不治の病気で倒れた。2年半の闘病の末に他界した。仕事は山積しているし、看病にも疲れ果てた。妻が 亡くなって間もなく、今度は一人息子が大学院の実験中に事故を起こし、危うく両眼を失明するのではないかという大怪我で入院した。

このときは完全にペシャ ンコになった。八幡様の前をバスで通るときも、胸を張るどころか、頭を垂れて、「もう勘弁してほしい。神も仏もないものか」と呟いたことを覚えている。そ のころから、人生を勝負だとか賭けだなどと考えることはなくなった。人生はままならぬことがあるとしみじみ思った。

 人生に出逢いと別れとはつきものである。好ましい人間関係ならいつまでも続けたいが、好ましくないそれなら、早く片をつけたい。

しかし、これも自分の思 惑通りにはいかない。室町時代の禅僧一休は、幸せとは何かと尋ねられて、「祖父母死に、父母死に、子死ぬ」と答えたことで有名だが、死別にも順序がある。 年の順に死んでいくなら、悲しくてもあきらめはつくが、順番が狂うと、とんでもない不幸と思いがちである。私は、妻が私より先に死ぬとは思ってもみなかっ た。私よりも年が若いし、日本人の平均寿命は女性が男性よりも長い。

私は夜更かしをし、煙草を吸い、不健康な生活を続けていたが、妻は規則正しい生活を送 り、スポーツを趣味にしていた。私が先に死ぬことは自他共に許していた。それなのに、妻は50歳の若さで亡くなったのである。私は悲嘆からなかなか立ち直 ることができなかった。私は多くの人たちから慰めと励ましの言葉をいただいた。

その一方で、職業柄、多くの人生相談を受けた。その中には、私よりももっと 不幸な人生を送っている人々が大勢いた。夫を亡くし、ようやく立ち直ったと思っていた矢先、息子さんを飛行機事故で失った年老いた母親が私の本を読んで勇 気づけられたと手紙をもらったときには、私のほうがむしろ元気づけられた。

 このような体験を重ねているうちに、私は人生を旅になぞらえて考えるようになった。それは『方丈記』の冒頭の文章「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」にも大いに影響されていたように思う。

 私たちはそれぞれの目的をもって、毎日を歩んでいる。良い天気で快適な旅を続けられる日もあれば、悪い条件でみじめな旅を続けなければならない日もあ る。居心地の良い宿場町では何日も長逗留をすることもあるが、居心地の悪い所では、茶店で一杯のお茶を飲んだだけで立ち去ることもある。

良い人に出会って も、いつまでも旅の道連れでいるわけにはいかない。肌の合わない人に出逢ってもそんなにぐちることはない。いずれ間もなく別れていくのだから。愛する妻や 子供も、旅の道連れである。いつまでも一緒に旅を続けたいと思っても、そうそううまくはいかない。いずれは別れなければならないときがくる。別離は淋し く、悲しいが、しかしまた新しい出逢いがある。それに期待したい。

 人生を旅だと思い出してから、妻との別離も耐えられるようになった。妻が亡くなってから、息子は結婚し、現在5歳の孫娘と1歳の孫息子が私の旅の道連れ に加わった。新しい出逢いから新しい人生が開けてきた。息子たち一家は遠く離れて、東北に住んでいる。

今の私にとって、旅の道連れとは一寸考え難い。とく に入院してこの文章を書いている現在の私にしてみれば、その感が強い。しかしこの文章が印刷されるのは1年先のことである。私は元気になって、きっと社会 復帰をしていることだろう。そして息子たち一家と再会し、また同じ旅を和気藹々と歩んでいることだろう。しかしまた思いがけない別離が訪れるのかもしれな い。

 森田正馬先生は、20歳になるかならないかの一人息子を病気で失った。森田先生はその子を医師に育てたいと思っていたが、浪人中だった。森田先生の落胆ぶりは見る人の涙を誘った。高弟の高良武久先生はそのときの様子をこう語っている。

 「森田先生はご子息の遺骸にとりすがって赤子のように泣きじゃくっていたかと思うと、すっくと立ち上がって机に向かい、一心に勉強をしようとされた。し かししばらくすると、悲しみに耐えきれなくなってまた号泣した。そうかと思うと、また涙を拭いて机に向かわれた。泣きたい気持ちはそのままにして、今やる べきことをやろうという森田療法のあるがままを実践されているようだった」
 森田先生はその後、『正一郎の想い出』を綴っている。その中で、「私は20年も生きてくれた正一郎に感謝しなければならない」と書きしるしている。親と して、わが子に先立たれるくらい悲しく辛いことはなかったであろう。恨みつらみもいいたかったであろう。

しかし、そういった感情をおさえて、20年間一緒 に過ごすことができたことについて、神に感謝しているのである。森田先生にとって正一郎さんは、生きがいであったし、人生の喜びであったはずである。正一 郎さんと一緒に過ごせたことについて、神に感謝する気持ちは私にもよくわかる。私にしてみても妻と一緒に過ごせた20数年間は、何にも代え難い時の流れ だった。

 良い人生というのは、良い思い出の蓄積ではないかと思う。幸福な人生というのは、幸せな思い出の積み重ねだと思う。

大原健士郎(浜松医科大学 名誉教授)著 : 「人生は旅」 : 「幸福論] : 毎日ライフ2002年3月号 : 毎日新聞社