Home Page Image
   
 

 

オンリーワン〜ラテンの血と沖縄の血と

●沖縄から●

 生まれて間もなく、視力を失った。助産婦が誤って劇薬を点眼してしまったのだ。1歳の時、両親は離婚。沖縄の米軍基地の軍曹だったメキシコ系米国人の父親は帰国し、以来消息は不明。母親は再婚し家を出て、祖母に育てられる。

 自分ほど不幸な人間はいないと考えていました。両親をうらみ、憎みました。その気持ちが消えたのはずっと後のことです。おばあちゃん、私はお母さんと呼んでいましたけどね。よく料理をしながら沖縄の民謡を口ずさんでいました。家は貧しかったけれど、近所の人がかわるがわる訪ねて来て話をして帰っていく。苦労ばかりだったろうに、明るい人でしたね。

  その祖母も中学2年の時、病死する。

 私は何のため生きているのか、これから先どうなるんだろうという不安。死を考え、井戸に飛び込んで死んでやれという気持ちにもなりました。そんな時、ラジオから賛美歌が流れてきた。誘われるように教会に行ってみたのです。

 牧師さんは私の生い立ちをじっと黙って聞いてくださいました。自分の話を一生懸命に聞いてくれる人がいることに感動して。私という存在そのもの「BEING(存在価値)」を受け入れてくれた。人間って1人でもそういう人がいたら、他人を傷付けたりしない。最近の少年事件のようなことにはならないと思うんですよ。

  コンサートで中学や高校に行くことも多い。子供たちに話すメッセージは「オンリーワン」

 「自分の響きを大切にしよう」。今子供たちが一番必要としていることではないでしょうか。私もそうですけど、誰かと比べることで自分を見ているでしょう。あの人みたいにできないとか。でも音楽だったり、スポーツだったり、目立たなかったとしてもそのひとなりの輝きというものがみんなあるはずだし、それを大事にしていこうと。

 その人の存在そのもと、BEINGに意味があると思うんです。人と比べるのではなく、オンリーワンの人生を送ろうよとね。

●歌う伝道者●

  歌うことは子供のころから好きだった。

 音の響くおふろやさんで歌うのはたのしいことでした。自分が歌うとみんな喜んでくれて、リクエストまでくれて。歌ったのは当時の流行歌。美空ひばりや三橋美智也、フランク永井・・・・・・。声帯模写も得意でした。

 高校時代にクラシック喫茶に行くようになって、交響曲やカンツォーネもたくさん聴きました。ものまねで文化祭で歌ったりしてね。

  東京の神学校に進学し、聖歌隊でクラシックの歌い方を初めて習う。

 大学を卒業する時、有名なボイストレーナーであるバランドーニ先生に会いに、神戸に行ったんです。私の声を聞いて、「日本人離れしたラテン的な響きを持っている」とおっしゃって。生い立ちを話しますと、「この声は神様からの贈り物です。しっかり磨きなさい」と言ってくださったのです。先生からそう言われて。これはもう自分は歌をやるしかないと思いました。

  福岡に拠点を置き、「おしゃべりコンサート」を始める。

 今では「草の根運動」と言っていますが、とにかく歌うことが好きでね。教会の大きな行事があると特別ゲストとして頼まれたり、全国いろいろな所へ行って、歌ってお話しする。「歌う伝道者」というんですかね。話すことは昔からけっこう得意だったんですよ。中にはピアニストのギャラも出せない小さな教会もあって。そうするとカラオケをテープに入れていって、それに合わせて歌う。「来てくれ」という所はどこでも行きました。

 33歳の時、念願だった東京の音大に入学し、再び上京しました。何の当ても保証もなかったけれど、「なんとかなるさ」と。沖縄の方言に「なんくるないさ」という言葉があるんですよ。いい言葉ですよ。知らない土地でも、行けば誰かしら知り合いになりますからね。いろんな輪が広がって。不思議にそうなっていくもんです。あのころはつえ1本と口さえあれば、どこでも住める、どこにでも行けると思っていました。

●第二の人生●

  35歳の時、狭心症で倒れる。

 寝ていたら部屋が突然、回り出しましてね。病院に行ったら、血圧の上が200にもなっている。薬をもらっても我慢できなくなり、1ケ月入院することになりました。体力的に無理していたし、食生活の不摂生もあって、むちゃをしていたんでしょうね。

 まだ音大の学生でしたから、もっと歌いたい一心だった。体重を落として、食事療法で体質改善して。そんなつらい思いしたの初めてでしたよ。

 医者に死んでもおかしくなかったと言われました。死ななくてすんだ、これは第二の人生をもらったんだと。初めて生きていていてよかったと思いましたね。

  両親に対する気持ちも変わっていった。

 1ケ月も入院しているといろんなことを考えます。自分の中でも整理できますしね。

 ベッドの中で「ラテン的な響きを持つあなたの声は神様の贈り物です」というバランドーニ先生の言葉をもう一度、思い返しました。こうして歌っているのも、父からラテンの血を受け継いだからなんだ。混血、今はダブルっていうんです。自分の中にはラテンの血と沖縄の血が流れているんだと。生まれてきたことに意味があると感じられ、次第に父と母へのうらみが溶けていく気がしました。

 自分の生い立ちそのもの、いろんなものをすべて背負わされたけれども、そのことをプラスにとらえていくというかな、そのことがむしろ自分が今置かれている使命、と言ったら大げさですけどね。そう思えるまでは随分時間がかかりましたね。

 沖縄戦がなかったら私はこの世に存在しなかった。父は沖縄に来ることはなく、私も生まれていなかったでしょうから。私がこうして生きているということは、平和のために何かしなさいということなのではないかと思っています。

●平和を●

  今夏、「命どぅ宝」というアルバムを出した。「命こそ宝」。ヒット曲「島唄」で知られるグループ「THE BOOM」の宮沢和史さん書下ろしの曲や「涙(なだ)そうそう」など、沖縄と平和をテーマにする14局を収録した。

 10年前の戦後50年の時に比べ、今年は静かだけれども、もっとじっくりと戦争を考える機会になっているのではないかと思います。私は読谷村(よみたんそん)生まれですが、沖縄は読谷から地上戦が始まりました。その生き残っている人たちの証言がテレビで取り上げられたりしています。みなさん語り継いでいかなきゃならないという思いになられたんじゃないでしょうか。

 私が小さいころは、意外と語りたがらなかった。具体的なことを尋ねると、あんまり聞かないでくれとかね。やっぱり、時間がたつと語れるというものがあるんだろうと思うんですね。

  ロンドンで同時爆破テロが起きた。イラクもテロが激しさを増している。

 テロの構造って、イスラム原理主義対アメリカのキリスト教原理主義の戦いですよね。原理主義というのは他を認めない、要するに自分が正しいという独善。他を排斥しているわけですから平和からは程遠い。

 平和というのは、互いの違いは違いとしてありながらも、どこかで協調するところを見つけていって、そこから何か方向性を見つけていこうというものですよね。広島の原爆よりすごい核えお持っている国があるわけですから、また戦争が始まったらもうこの地球はなくなってしまうかもしれない。悲劇的楽観主義っていうのかな。協調する点をどこかで見つけていく、それしかないと思います。

 平和の基本もオンリーワンです。人と比べるのではなく互いを認め合うことから平和は始まるのだと思います。音楽を通じて何かそういうメッセージを発信できれば、そんなふうに思いながら歌っています。

新垣勉 : 著 (聞き手 : 五十嵐英美) : 「オンリーワン〜ラテンの血と沖縄の血と〜」 : 2005年7月31日毎日新聞統合版

参考 : 新垣勉 「命(ぬち)どぅ宝」 : ビクターエンターテインメント VICC60447