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縁<感想>

 僕はいま不思議な縁で、鎌倉・七里ヶ浜の聖テレジア病院に入っています。ここは何となく気に入っています。
 六月二十五日、初診のつもりで診てもらったのですが、その日の僕の容態が非常に悪く、また、初めて会った院長とも気が合い、その日のうちに入院ということになったのです。
 病院は静かで、治療の方針が気に入っています。
 僕が先頃まで入院していた病院は、技術的には先鋭だったと思いますが、しかし管理的で、あまり人間的でないように思われました。それに比べ、この聖テレジア病院はすべてが人間的です。院長の人柄も方針も気に入っています。
 最新鋭の技術で病気をやっつけるのでなく、静かに穏やかに、病気と共生する人を助けようとすることを願っているみたいです。
 これはまさに僕の願っていたところです。
 入院してから、何度も血液検査を行い、そのつど状態を把握し、必要な処置をとってくれます。
 こういう肌理(きめ)の細やかな処置が、いまの僕には必要だったのです。
 五月、六月は空しく過ごしました。いまは満足して毎日暮らしています。(七月十三日)

死に際しての処置
      ニ00一年五月三日記す

 1、医師により死が確認されたる時は、近親者と別に指名せる編集者のみにこれを知らせ、それ以外の者に知らせる勿(なか)れ
 1、近親者とは、余と秀の姉妹弟とその伴侶也
 1、編集者は文芸春秋社員高橋一清也
   氏が、必要とする助手はこれにふくむ
 1、密葬に必要なかぎり葬儀屋に依頼すべきも、葬儀屋のいう通りにすべからず
 1、湯かたびらの如き、草履、脚絆の如きは一切用うべからず 海島綿の下着をつけ、平常好んで着たるシャツに、ズボン、上着を着せ、生ける時の如くすべし
 1、死体の処置を近親者に限るは第三者に死顔を見せざる為也
 1、飾りなき車にて棺を運び荼毘(だび)に付すべし
 1、骨を信州須坂浄運寺に運び小林覚雄和尚により簡素なる葬式を行うこと。
   このことは新聞紙上に公表して可也
   来る人が来ればよし
 1、死後「お別れの会」の如きはすべからず
 1、要するにすべて最も簡略に迅速に事務的にやって貰いたいの也
 1、死はさしたる事柄に非ず 生の時は生あるのみ、死のときは死あるのみ、悲しむべきことに非ざるが故に
 1、小林和尚が浄土宗の流儀にて葬儀を行うは、それに従うべし

  以上なり。予はすでに墓誌に記せる如く、十九歳第五高等学校に遊学以来、文学を愛し、生涯の業とせり。戦後の窮乏時代には文学を以って生きることはなはだ 困難なりしも、素志を貫き、以来ただ文学一筋に生きたり。これを誇りとす。また成瀬秀と結婚し、先年金婚の祝いをせしまで、共に支えあい、つつがなく生き たることを幸せとす。
 顧みて幸福なる生涯なりき。このことを天に感謝す。
 わが志・わが思想・わが願いはすべて、わが著作の中にあり。予は喜びも悲しみもすべて文学に托して生きたり。予を偲ぶ者あらば、予が著作を見よ。
 予に関わりしすべての人に感謝す。さらば。

中野孝次 : 著 : 「縁<感想>」 : 文芸春秋2004年9月臨時増刊号「和の心 日本の美」 : 文芸春秋社