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「・・・・・ここのところ、夜となく昼となく、私は希望と恐れの間をさまよっています。でも私はすべてを神の御心に委せることにいたしまし た。

そして、お父様もお姉様も、私と同じような気持ちになられるものと思っています。それ以外にどうやって心を平静に、いえ、私たちはどうしても平静では いられないのですから、少しでも平静に近づけるようにするにはどうしたらよいのでしょう。なるようになれ、私はすべてを天に委せました。

----神は私た ちに良かれとすべてのものを律したもうのであり、たとえなにか私たちの目に理解のいかぬことでも、神はそのようにお考えになってのことなのですから。その うえ、私は、どんな医者も、どんな人間も、どんな不運も、どんな幸運も、一人の人間に生命を与えたり、奪ったりすることはできないと信じています。(この 点については、だれも私の考えを変えることはできません)。

それを行えるのは神だけです。・・・・・私たちのまわりでは、人が気を失い、倒れ、死んで行き ます。私たちは、その時が来れば、どんなことをしても無駄です。なにかすれば、死ははやまりこそすれ、遅れることはありません。故友のヘフナーの場合もそ うでした。

 といっても、私はお母様が死ぬであろうとか、死ぬに決まっているというつもりはありませんし、すべての希望が失われたというものでもありません。

あるい は健康を回復し、丈夫になられるかもしれません。ただし、それは神がそうお望みになればの話です。力の限り神にお母様の健康をお祈りしたうえで、そうなる ことを夢見ておりましょう。それは考えるだけで心安まり、慰められることなのですから、それに、おわかりのように、私には安らぎが必要です。

 では、ほかのことをお話しましょう。こんな陰気な思いは頭から消し、希望を持ち----といっても持ち過ぎず----神を信頼し、すべてはうまく行くの だと考えて心慰めるとしましょう。神は、私たちのかりそめの幸福と、永遠の救済のためには、なにがもっとも良いのかをご存知なのですから、それが神のみ心 にかなうことであれば、そうしようではありませんか。」

「では、さようなら。お体を大切に。神を信じて下さい。それだけが希望の綱です。お母さんは主の御手にあります。私たちの願いどおり、もし主 がお助け下されば、私たちはその御恵みに感謝いたしましょう。

しかし、神の御手もとに召されるのがみ心であるなら、私たちが、恐れ、悲しみ、嘆いてみても 無駄なことでしょう。それより、毅然として神の意志にすべてを委せ、それもつまりは私たちのためなのだと信じましょう。なぜなら、神は理由のないことはな さらないのですから。
 では、さようなら、お父さん、私のためにもお体大切に。」

中公文庫 : 石井 宏 著 : 「素顔のモーツアルト」