Home Page Image
   
 

 


もう泣くのはやめましょうね

 筑紫の三婆(さんばば)----勝手にこう呼んで敬愛している作家が九州にいる。宗像の森崎和江さん、水俣の石牟礼道子さん、奄美の島津ミホさん。共通するのは、近代日本が切り捨ててきた民衆の魂を凝視するまなざしだ。森崎さんの新詩集『ささ笛ひとつ』(思潮社)は、亡き両親と52年前に自死した弟にささげられている。

 植民地化の朝鮮に生まれ、17年間暮らした私は、かの地の人たちと大地にわびたいという原罪意識のもとに生きてきました。その朝鮮は父と母の思い出に満ちています。

 父は母を愛子さんと呼び、仲が良かった。男の人はみな妻を優しくお風呂に入れるものと、幼心に思っておりました。母が若くして亡くなる数日前、父に抱かれた湯上りの「もういつ死んでもいいわ」という言葉を覚えています。「女も日に三度の火を起こすだけでは駄目だよ。社会的にいい仕事をせよ。生涯、凡庸に徹して生きよ」。がん末期の父の静かな声が今でも聞こえます。

 ずっと後、閉山が相次ぐ筑豊の炭鉱町に住み着いた時、夜中に家のガラス戸を割って入ってきた男の人が「字書いて飯食うやつは舌かみ切って死ね」とどなり、机にドスを突き刺しました。仕事を亡くした炭鉱労働者です。お酒を出して話し込みました。でもね、女が字を書いて生きるのも大変なのよと。筑豊のボタ山も木が茂り、変わってしまい・・・・・・何でこんなに涙が出るんでしょう。

 最近、「濡(ぬ)れ甲羅」という詩を書いた。弟への鎮魂歌である。

 早稲田大学の2年生でした。作曲家になる中村八大君と一緒にお芝居をしてたの。東京から久留米の私の家に突然やって来て、庭先で「甲羅を干させてくれないかー、和(かず)んべー」と呼んだのです。私と同じ自分探しの末に疲れ果てて。敗戦の世相に負けずに生きようと話していたら、「女はいいよね、命を宿すことができるんだもの。子供を手がかりに生きられるんだから」と生後間もない私の長女を見て言いました。その言葉の深みが私にはわからなかった。東京に戻って数日後に死にました。「僕には故郷(ふるさと)がない」と書き残して。21歳と1ヵ月でした。

 私の思いを、ただの言葉としてしか弟に伝えられなかった悔いが今もあります。炭鉱の人たちは違いました。生活を通して教える言葉を持っていたのです。初めて筑豊を歩いた時、「石炭はどこに落ちているんですか」と炭鉱労働者に尋ねたら、「ほら、聞こえろうが、あんたの足の下。じっと聞きない。地面の下で掘る音がしよろう?」と。初対面の相手の心に深く寄り添う、こんな教え方があったのかと驚きました。

 宗像の元船大工の方もそうでした。お盆の時に自分の先祖だけお祭りしていてはつまらんばい。海には仏像がなんぼでもおる。海岸で砂の観音様を作ってその仏像をお祭りすれば、海の神様がお連れ下さると。そんな言葉が、あの時の私にはなかった。それで弟を死なせてしもうて・・・・・・もう泣くのはやめましょうね。

 韓国の巨済(コジェ)島で知的障害者児施設の園長をしている旧友が、今年も5月に宗像まで修学旅行に来ます。明日は打ち合わせなの。さあ、チマ・チョゴリを着て元気を出しましょう。

森崎和江(インタビュー・白石明彦) : 「もう泣くのはやめましょうね」 :2005年3月13日朝日新聞統合版