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親と子

 親は子の前を行く・これが言わば、順当な人間界の時のかたちである。それ故に、子は親の後ろ姿を見て育つ、という言い方も成立したのだと思 う。

だが、これだけが人間界の時のかたちであるのか。私たちのひとり子は、親の前にでて死んだ。その年齢わずか十二歳にして、自ら死に身を投じたのだっ た。人間界には、子の方が親の前を行くかたちもあったのである。子に先立たれて、初めて「時」の真実を知ると何ということであろう。

 その当時は、何が起きたのか分からなかった。死んだということは分かった。「死」が恐ろしく重く圧し掛かってきたからである。

しかも、その死は、私がそ れまで、疑うこともなく歩んでいた時を奈落に変えていた。私は奈落に墜落した。地獄が私の生きる場となったのである。手が硬直し、目も暗くなった。本の活 字も見えなくなった。その奈落を行く私を歩ませつづけたのは、何であったのか。

 気がつくと、私は硬直した手で、親鸞の言葉を一字ずつ書いていた。死ななかったのである。いや、奈落を生きる私を、前方を行く子が捉えて離さなかったの だ。そしていま、深く思い知る。子が親の子であるなら、親もまた、子によって本当の親になれるのが真の親子のかたちなのであった。子に学べなかった私は、 親になれなかったのだ。

 いまは私にも、亡き子の声が聞こえる。人間の生とは、死からの声に支えられて本物になるのであった。生が死に向かうのであれば、死もまた生に還るのだ。厳しい二十五年の歳月であった。有り難い縁であった。

朝日新聞社 : 2001年1月31日 朝刊 : 「時のかたち」