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「痛快な老い」歌う竹山広

 竹山広歌集『遐年(かねん)』(柊書房)を読む。竹山広は1920年の生まれ、今年84歳になる。一昨年に迢空賞など歌壇の三賞をまとめて受けたことは記憶にあたらしい。

 戦後、日本人の平均寿命はぐんぐんと延び、男女とも世界一である。当然短歌を作る人々の寿命も延びる。万葉集の歌の作者の年齢は平均していったい何歳く らいだったのだろう。高齢歌人もむろんいることはいるが平均すれば三十代ではなかろうか。現在の短歌はその倍ほどの平均年齢層に移ってきている。ものすご い変化といわなければならない。

 遐年とは耳なれない言葉だが、ずばり長命、長生きの意味。老いが主題の歌集である。となれば否応なしにそこに老いのつらさやかなしみ、老いゆくことの詠 嘆や諦観が主調になる。この歌集もむろんそういう要素と無縁ではありえないが、ただ竹山広の場合それにとどまらない批評精神が冴え冴えと行き渡っているの にあらためて驚かされる。妙な言い方になるが『遐年』の歌は老いゆくことがむしろどこか痛快なのだ。

 一万メートル上空にして隣り合ふ椅子に括られゐる老夫婦
 隣り合う座席にシートベルトで括られて、老いたる夫婦が高度一万メートルの空を飛ぶ。そういわれるとただの飛行機の旅が一挙に文明の異様さのようなものに変貌する。
 斎場を出づるときすでに歌一首粗作(あらづく)りせりけなげなあたま

 友人の葬儀で出たときの歌。読経の声をききながら挽歌一首をさっそく「粗作り」してしまったわがあたまを褒める。地下深いところからの暗い哄笑の声を聞くおもいだ。老いゆくみずからの肉体をみずからが凝視して、軽妙に、ときに冷酷無比に批評しつくすまなざしが貴い。
 そしてその先にまたこういう歌がある。

 面倒なことだが孫よ人間はベッドでひとりひとり死ぬのだ
 知る人は知るように、竹山広は長崎での被爆体験をもつ。ベッドで死ななかった無数の死者をむこうに見据えているだろう。平和とは「面倒なこと」だ。その面倒なことに耐えなければならないのだと受け止めるとき、この一首は私に忘れられない。

 小池光 : 著 : 『「痛快な老い」歌う竹山広』 : 詩歌のこだま : 日本経済新聞2004年8月29日号