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数奇な人生、力強く歌に結実

 「数奇な運命」という言葉には他人の人生を横から野次馬気分で眺めるようなところがあるから、その態度はあまり誉められたものではないだろ う。ではあるが、これはやっぱり数奇な人生だと思わないではいられない人生が世の中には確かにあって、われわれの耳目をしっかり引きつける。見知らぬ人の 歌集をふと聞くとき、こういう気持ちに近い引きつけられ方をして、いつしか読み入ってしまう場合があるが、短歌には数奇な人生のその数奇ぶりをいっそう際 立たせる作用が、またあるらしい。

 三浦克子『哈爾浜(ハルピン)の虹』(短歌新聞社)という歌集を読んだ。わたしは、この作者について何も知識がない。巻末のあとがきと短い略歴によれ ば、結婚して満州(現中国東北部)に渡り、そこで終戦を迎える。厳冬の地を流亡する中で重い凍傷にかかり両下肢を失う。

しかし奇跡的に一命をとりとめて帰 国し、その後の人生を生きて今年八十歳になった人である。流浪する中で生後間もない長女を喪(うしな)うが、歌集には子や孫の歌もあるので戦後不自由な身 の上で出産、子育てもされたのだろう。短歌はその日々の折々にあって疑いなく人を支えた。

 歌集『哈爾浜の虹』はそのまま自分史といえるが、困難な境遇に屈せずいろいろな地を旅し、特に旧満州の地の訪問を重ねて友誼(ゆうぎ)を尽くす、その力強い生き方にうたれる。

 作り直してアフガンの子らへ贈るとふ古き義足を吾も送らむ
 幾とせか吾が歩みたる義肢二本送らむとして抱きしめやりぬ

 こういう歌があるがアフガニスタンの子供たちに古い義足を贈ろうという運動があることを、わたしは知らないのであった。一般的な救援活動と、自身の分身 であった義足を贈ることは、別の次元のことである。しかもその義足は、異国の地で切断された若き母親のその後の生を支えたものである。贈り物としてこれは 究極の贈り物だろう。

 どんな人のどんな人生であっても、それがこの世にたったひとつしかないという意味でみな「数奇な人生」である。ただその自身の数奇さにわれわれはなかなか気が付かない。他者の数奇さは自身を見直す契機を与える。

小池光 : 著 : 「数奇な人生、力強く歌に結実」 : 詩歌のこだま : 2004年10月10日日本経済新聞統合版