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蟻地獄から薄羽蜻蛉へ

 今年も、またお盆がやってきました。盆がくると、いつもこの生きものを思い出します。
 ある年のことです。近所の子供たちがさわいでおりますので覗いてみますと、わが家の軒下に蟻地獄ができていました。

かれらのひとりひとりが蟻を握ってい て、円錐形の穴のなかに投げこむのです。蟻は這いあがろうとするのですが、砂が崩れてなかなかあがれません。と思った一瞬、吸い込まれて見えなくなりまし た。子どもたちは、歓声をあげて喜びます。正体を見せず、獲物をひきこむ虫に魅力があるのでしょうか。

 蟻の痛さが身にしみ、とめようと思いました。しかし、思いかえしました。蟻地獄もまた生命なのだ、食料がなければ生きていけないのだと・・・・・。弱肉 強食という地球上の定めがうらめしくおもわれてなりませんでした。この場合、蟻を生かせば、蟻地獄の虫は生存できなくなります。ねずみはゴキブリを食べ、 蛇はねずみを食べ、雉(きじ)や百舌(もず)は蛇をついばむのです。鳥は鳥でより大きな鳥や人間のえさになる不等号の世界が弱肉強食なのでしょう。

 そんな哀しみもいつしか薄れ、やがて涼しい風が吹きはじめ、大雨の通り過ぎた後、ふと見ますと蟻地獄の一群は跡かたもなく消え去っておりました。蟻地獄も大自然のなかに摂取されたのかと思い、かわいそうでした。

 それから一週間ほどたった頃です。庭には萩やコスモスが咲きはじめた、ある夕暮れどき、わたしの机のうえにちいさなとんぼが、寂(しず)かに飛翔してき て静止しました。淡いエメラルドグリーンの透けた羽が優美で、詩情さえ醸しだしておりました。息が絶えかかっているのか、か細い羽をふるわせました。それ は一弦琴を奏でているような風情でありました。手に取ろうとしましたが、ためらいました。とんぼの息が絶えていたのです。

 よく眺めてみますと、とんぼではなく、薄羽蜻蛉でした。絹のように優美で、気品高く可愛い姿をしていました。

 わたしは薄倖(はっこう)なこの薄羽蜻蛉が、じつは、残忍獰猛な、あの蟻地獄の変身であることを思い、人間世界にはない妖しさと業の深さに感動しました。

 と同時に、子供たちのいたずらを、制止できなかったわたしの懊悩が飛散しました。
 この時、わたしは幻の声を聞いたのです。それは薄羽蜻蛉の声なき声であります。
 「おかげさまで無事に成長することができました。

有終の美を飾ることができました」
 それは、身勝手なわたしの情念かもしれません。でも、そう思わずにいられません。
 それと同時に、殺生という業の哀しみが、いまさらのように押し寄せてきました。それが、お盆を考える意味でしょうか・・・・。

 わたしは、盆と正月は、人間生活のけじめをつける日であると思います。一年の始めの正月は、一年の計画をし、盆は一年の中央に位置していますので、前期の行動のひずみを軌道修正し、後期のよりよき生きざまを考える絶好のチャンスにしております。

菊村 紀彦 :著: 蟻地獄から薄羽蜻蛉へ : 自分と出会う : 朝日新聞2002年7月9日朝刊