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人間は、深い恐れとおののきをもってしか、神と語り合うことはできません。深い恐れとおののきをもってしてであります。・・・・・・正しく祈る者は、だれでも、このことを知っています。正しく祈ることを知らなかった者も、祈りにおいて、そのことを学びます。祈りは、まことにいつもこころにかけ続けてきたことでした。それは、自分にとって、まことに大切なことでありました。そのようにして、自分を神に正しく理解していただくということは、何にもまさって切実なことでありました。その祈りにおいて何かを忘れているかもしれないという思いがあると、祈る者は不安になります。ああ、もし、ほんとうに忘れていたとしたら、おそらく神ご自身のほうから、それを思い出してくださることもないであろうと思えば、不安になりました。そのために、自分の思いを集中させ、ますますこころの内深くで祈ろうとしました。ところで、ほんとうに内的にこころ深く祈ることができたら、何が自分に起こるのでしょうか。とても不思議なことが起こるのです。ますますこころ深く祈れるようになればなるほど、だんだんと口にする言葉は少なくなります。そして、遂には完全に黙ってしまうのです。祈る者が黙ってしまいます。語ることに対立して、沈黙することにまさって、何かが起こったのです。祈る者が聴く者となったのです。祈る者は、祈るということは語ることであると思い込んでいました。だが、今学んだのは、祈るということは、ただ黙ることだけではなく、聴くことであるということでした。しかもまた、祈るということは、自分が語る言葉を聞くことでないばかりでなく、沈黙し、沈黙しつつ耐えること、祈る者が神の言葉を聴くことができるようになるまで、待ち続けることであることを、知ったのであります。

C.メラー : 編 (加藤常昭 : 訳) : 『魂への配慮の歴史10 「19世紀の牧会者たち?』 : 日本基督教団出版局