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懲らしめとあわれみ

 主は、いつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。
                                          (哀歌3章31〜33節)

 不況が続き、景気が落ち込んでいます。突然のリストラも、もうめずらしいことではなくなりました。リストラというと聞こえはいいですが、はっきり言えば首切りです。
 そのようななかで増加しているのが、自殺をする中高年の男性の数です。
 はたから見れば「職を失ったくらいで自殺までしなくてもいいではないか」と思うでしょうが、その人の生活状況を考えると、やはり死を選ぶ以外に道がないほど行き詰まっておられたのだろうと思います。

 自殺の成立には三つの要素があると言われています。この三つの条件がそろったときに人は自らの命を絶つと考えられるのです。

 まず第一に、その人が自分は絶望的な、もう自分の手に負えない、どうにもならない状況にいると感じていること。

 第二に、その状況が一時的なもので、しばらく我慢をしていれば状況が好転するというものではなくて、この先ずっと続くのではないかと思いこんでいること。だからその状況から逃れるためには自分を消す以外に道がないと思ってしまっていること。

 第三に、自分を消す以外に道がないと思っているその思いに歯止めがかからないということ。いくら「死んでしまったほうがましだ」と思っても、その気持ちに歯止めがかかれば死を選ぶことはないのです。

 歯止めには内的な歯止めと外的な歯止めがあると言われています。
 内的な歯止めというのは、その人がもっている信条や信仰、また基本的な人生観や価値観です。たとえば、神様から与えられた命を自分の意志で絶ってはいけないという強い信仰をもっていれば、いくら辛い状況にあっても内的な歯止めがかかって、自殺にまでいかないわけです。

 外的な歯止めは、たとえば「この子のために何とか生きよう」というように、今自分が死んだら子どもはどんなに悲しむだろうかと気づき、自殺を思いとどまらせるものです。
 

ですから、自殺をした人たちは、内的にも外的にも歯止めがきかなくなって、辛い状況に耐えることができなくなり、自ら消える以外に道がないと思ってしまわれたのではないかと考えられます。

 中高年者の自殺が多いという記事を読んで、私は何とか歯止めがかからないものだろうかと思いました。唯一歯止めをかけるものが信仰だというつもりはないですけれども、聖書には、内的な歯止めになるすばらしい御言葉がたくさんあります。
 冒頭の御言葉も、私が非常に好きな御言葉ですが、そのひとつです。

  ここには神様の私たちに対する懲らしめとあわれみが、短い文章のなかにみごとに凝縮されていると思います。私たちは人生において神様から懲らしめを受け る、言い換えると試練が与えられます。しかし神様は永遠に試練を与え続けたり、また耐えられないような試練を与えるということは決してなさらないというの です。

 「主は、いつまでも見放してはおられない」とあります。「神様から見捨てられた」という気持ちをもつことも長い人生にはあると思いますが、決していつまでも捨てておかれることはないのです。

 次に「たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる」とあります。親が子をしつけるのと同じです。きつく叱ることもありま すが、それは愛情に裏打ちされたものです。また、叱ったあとで抱きしめたりすることによって、親の愛情を示すこともあります。

 それから「主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない」とあります。神様のもこころは決して苦しめ悩ますこと自体にはありません。忍耐 をもって耐えていれば必ずそこから救い出してくださる、逃れる道を備えてくださるということがはっきりとここに書かれています。

 程度の差はあっても、私たちは長い人生の途上で耐えられないような悲しみ、苦しみを味わうことがあります。そのときに、これは一時的なものであって、祈 りつつ耐え忍んでいれば必ず逃れの道が与えられるという確信をもつことができれば、大きな心の平安につながるのではないでしょうか。

柏木哲夫 : 著 : 「心をいやす55のメッセージ」 : いのちのことば社