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『ばらの騎士』----死にゆく音符達の風景----

カルロス!
 私は、元々業績のある指揮者が、老いを迎えた或る日突然、神のごとく持て囃されるというどこかの国の現象が大嫌いだ。近年でもSC氏、AT氏、GW氏 (いずれも故人)といったあたりがそうだった。すなわち、五年前にはボロクソに貶し無視していた指揮者が老いを迎えるや、手のひらを返してコンサートに馳 せ参じ、足元の覚束なくなった老人を崇め奉るのだから理解に苦しむ。いかにも死を待ち望んで「俺は何某の最後のコンサートに行った」と自慢したいがためだ けの行為としか思えない。


死期が近づかなければ指揮者ではないと言わんばかりの態度には鼻白む思いもする。年齢による円熟とか味わいを私は否定しないが、 その時限りでなく十年、二十年と息長く一人の指揮者による創造物を享受し続けていきたいと思うのである。で、私はクライバーを享受できたか。

 この十年、仕事らしい仕事もせずに世間を避けて隠遁、そして死んでしまったクライバー自身の、年齢による円熟や老成ということをどう捉えたらいいの か・・・・・・。

八〇歳を超えてなお指揮台に立ち続けることが常識と思えるこの世界で、享年七四歳は”若手”と言ってもおかしくない年齢である。しかしな がら並の感性しか持たない一愛好家の悲しさ、実演に接した八一年から九四年の間の変化をリアルタイムで、かつ敏感に感じ取れなかったのは身の不徳である。 が、そのままでおくのも癪なので、記憶を掘り起こして自分なりの餞(はなむけ)としてまとめてみた。

「このオペラは誰も死なない。けれど、音符の一つ一つが死んでいくんだ・・・・・・」と、日本公演の『ばらの騎士』で元帥夫人を歌ったフェリシティ・ロッ トに向かってつぶやいたクライバーの言葉がいまだに心に残っている。クライバーにとって指揮という行為は”音楽の野辺送り”ではなかったのか。

音楽に携わ る誰もが、再現芸術としての不可避な宿命を感じてはいるのだが、誰よりも痛切にその宿命を感じ、そして受け入れることで自分の仕事と誠実に向き合っていた のがクライバーではなかったのか・・・・・・。だから『こうもり』のような一見能天気の見本のようなオペレッタでさえ、聴衆の多くはクライバーの指揮する 音楽にはほろ苦く屈折した手触りを感じ取ったのだろう。
 

かくして九四年10月の日本公演に三回も接することができたのは我が身の幸福だった。九〇年代に入り、いよいよ指揮する機会がほとんどなくなっていたクライバーが再び来日するという、それも『ばらの騎士』!
 
私はチケットを確保し、ひたすら”その時”を待った。そして”奇跡”がもたらされた。クライバーとウィーン・フィル----『ばらの騎士』を表か ら裏まで隅々まで知り尽くした”匠”----が醸し出す音楽は、極上のシャンパンの透明感と木目細かい泡を彷彿とさせる。すべてはクライバーの意志が司 り、あらゆる音符が生かし尽くされ、贅肉を殺ぎ落とされ、そして昇華していった。・・・・・・これが、これこそが心から待ち望み聴きたかった音楽なのだっ た。
 

第一幕の最後、オクタヴィアンに立ち去られた元帥夫人が自己の老いと向き合うシーンで、ウィーン・フィルの音楽は極限の弱音。客席のあちこちから堰を 切ったように抑制されたすすり泣きが聞こえてきた。さすがに私は持ちこたえたが、その儚(はかな)い音楽の何という説得力!「これは夢なのだろう か・・・・・・」という第三幕の二重奏のとおり音楽は眼前に現れ、微笑みそして涙し、消えていってしまった。

第二幕、ワルツの愉悦とかいう次元を軽々と超 えた音楽には笑うしかない。泣いて笑っているうちに、我々は知らず知らずに『ばらの騎士』の本質に辿り着かせてもらったと今さらのように思うのである。

第 三幕、女声の三重唱のクライマックスに向かってクライバーはスコアの指示とは逆にテンポを上げていく(スコア指示どおりにテンポを落とすカラヤンの録音と の比較をお勧めする)と、音楽は心地よく軋んで、”右眼に微笑、左眼に涙”----これこそが『ばらの騎士』の本質----が実像となって現れ、かつて感 じたことのない遥かな高みへと誘われたのだった。ここに至ってようやく私は、劇進行に合わせて時には立ち止まり、あるいは振り返るようなそぶりを見せる音 楽に、かつての圧倒的な推進力で音楽を煽りに煽っていたクライバーですら老成という年齢になっていたと気づかされたのだ。

こうして、八一年のスカラ座来日 公演『オテロ』冒頭、嵐の音楽の閃光から始まった私のクライバー実体験は終わった。

「それぞれの時がある・・・・・・」とは、第一幕の元帥夫人の台詞だが、この言葉を心に刻み込み強烈に自覚していたのが他ならぬクライバーだと気づいたのは、この文章のまとめに取りかかる頃だった。ありがとうカルロス!

 最後に、クライバーを招聘し、七四年以来の来日公演五回すべてのマネージメントをやり遂げたST氏とそのスタッフにも心から感謝したい。

古田秀一 : 著 : 『ばらの騎士』----死にゆく音符達の風景----  : クラッシックジャーナル009 : アルファベータ社