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ここに米国の強さを見る

 同時多発テロが起こったのは9月11日。911は米国では緊急電話番号である。日本なら110番だ。ハイジャックされた飛行機の乗客の中には、反射的にその番号に電話した人もいたようだ。

 もっとも、多くは愛する人を呼び出した。携帯電話を使い、うずくまりながら声を落とし、耳を澄ました。何が起こっているのか、分からない、ただ、切れ切れでも何かを伝えようとした。

 妻に、夫に、恋人に、両親に・・・・・愛する人に、最後の別れを告げた。
 「アイ・ラブ・ユー」
 「元気でね。からだに気を付けて」
 「子供たちのこと、お願いね」

 その直後、相手の電話口には散乱する絶叫音。そしてただ、白い沈黙が残った。
 ユナイテッド航空(ニューアーク--サンフランシスコ)に搭乗したあるキャリアの女性の場合、サンフランシコの家にいる夫に急を告げようとしたが夫は出 てこない。西海岸は朝6時半。留守番電話にメッセージを残した。ハイジャックされた。もうダメ。いままで本当にお世話になりました。いつまでもいまのあな たのでいてね。

 夫は泥のように熟睡していた。その留守電を聞きながら、目を腫らしてうなだれる彼の姿がテレビに映っていた。どんなに悔やんだことだろう。電話しても相手が出ず、言葉をかけることもできずに死んでいった人々の方がはるかに多かったに違いない。

 私だったら、どうしただろうか。
 もし、運良く電話できたとして、

一体、何と言うだろうか。何を言えるだろうか。
 それより、もし、妻が、子供が、そのような目にあったとして、自分に電話をかけてきたとき、どう答えることができるだろうか。

 「切っちゃダメ、切っちゃダメ、と叫んだのに切れてしまい、それきり」との妻の証言があった。「何もいえずただ泣いた」と残された妻は語ったとの記事を読むと、そうだろうな、そういうものだろうなとも思う。

 中には、弁護士でテレビ解説者のバーバラ・オルソンさんのような気丈夫もいた。

 彼女は国防総省に突入したアメリカン航空(ダレス--ロサンゼルス)に乗っていた。異変を知ると直ちに夫に電話した。夫は政府の法廷対策の責任者である 司法省傘下の訟務長官だ。彼らはカッターとカッターナイフを持っている。乗客は後部座席に押しやられている----と細かく報告した後で、尋ねた。「機長 にどうしろと言えばいいの、私たちは何をしたらいいの、教えて」

 夫は、何も答えることができなかった。

 ユナイテッド航空機はペンシルベニア州ピッツバーグ郊外に墜落したが、機中では乗客の何人かが犯人と格闘したようだ。

 彼らは三、四十分ほど前に起こった世界貿易センターの惨事を何らかの方法で察知していたものと見える。乗っ取られた飛行機を大量破壊兵器とさせないために彼らは立ち上がった。
 「英雄的行為」とウォルフォビッツ国防副長官は彼らの行動をたたえている。
 世界貿易センターの上の階で、火だるまになり大やけどした同僚の女性を背負って何十階も階段を下りた男性のこともニュースで知った。

 ついに生きてかえった。彼女は重体だが、何とか助かるようだ。彼が答えていた。
 「彼女のおかげで私も助かったのです。階段を下りていく途中で、みんなが道を譲ってくれたからです」

 このような究極のアナーキーにあっては人間は動物となり、文明は麻痺するものと人は思いがちである。そうした事象も起こっただろう。わずか数時間後に始まったと言われる世界貿易センタービルの破片のネット販売などおぞましい限りだ。

 しかし、人間は迫り来る死を前に、遠くにいる残される者への思いやりとその近くにいるより弱き者へのいたわりをかくも雄弁に示すことができる。阪神大震災のときも、そうした人間の気高さについて私たちは教えられたが、今回も米国の国民は私たちに希望を与えてくれている。

 無差別テロという人間の存在と標識を破壊する脅威に対して、最後まで人間の条件と文明の礎を守ろうとする米国人の心意気を、私はここに感じる。市民が戦士となって戦い、人々が下から連帯の輪を広げていく公(パブリック)の精神の強さを、そこに見る。
 それから、何と言ってもあのすごい体力だなあ。

船橋 洋一 : 朝日新聞社コラムニスト

船橋 洋一 : 著 : 「ここに米国の強さを見る」 : 日本@世界 : 朝日新聞2001年9月20日朝刊より