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息子の言葉

 十五年ほど前のことだ。高校生だった息子が、不意に私の仕事部屋に入ってきた。ちょうど親子の会話が途切れる年齢だったので、私のほうが少々緊張したほどである。

 息子は初めは口ごもっていたが、やがて意を決したように、「お父さんは特攻隊員を讃(たた)えるべきだと思うか」と尋ねてきた。授業時間に、老いた一教 師が、あの戦争の時に学業半ばでアメリカの艦船に体あたり攻撃して戦没した学徒兵の話をして、涙ぐんだのだという。私の著作にもそのようなことが書いて あったのを思いだしたと言った。

 私は、息子の言葉を受けて、戦時下で学徒兵たちが、愚劣な戦時指導者の犠牲という形で十死零生の作戦に投入されたというエピソードを次々に語った。明 日、特攻出撃するという学徒兵の遺稿や書簡などを読んだら涙が出てくるし、彼らは生きる時代を選べないから、そのような運命を受けいれたのだと饒舌(じょ うぜつ)に話し続けた。

 すると息子は、特攻攻撃を受けてアメリカの兵士は何人も死んだのだろう、その兵士のことを考えたことはあるかと尋ねてきた。いやそれはアメリカ人が考えているのだろうと答えた瞬間、あの戦争を見つめるのにまったく新しい世代が登場したと悟った。

 特攻隊員を立派だと讃えるだけでは、今なお書物の上で戦争を続けていることではないか、と息子は言葉を足した。私は息を飲んで黙した。

 その息子が、大学生の時に病で逝ってから十年が経つ。あの言葉を思いだすたびに私は仕事の手を止め考えこむ。

保阪 正康 : 著 : 「時のかたち」 : 2002年11月12日朝日新聞朝刊