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人は苦痛が去ることを願って祈り、熱情をこめて祈るが、その結果精力を消耗し、希望がなかなか叶えられずに病気となり、祈りが失敗に終わると きがある。

しかし、そのような祈りよりもさらに高い祈りがあることを知って欲しい。苦痛の除去を祈るよりも、苦痛が神の恵の臨む場とかえられるように祈る 方が、はるかに偉大なのである。

神が苦痛をして聖餐として下さることを祈願することは、大きな恵にあずかることなのである。

 苦痛の中で人が除去を祈願したり、それを役に立てようと祈るときにさえも、神はその苦痛を祝したもうのである。どのようなものであれ、われ われを神に駆り立て、神に近づけるものは、神の祝福をその中に宿すのである。

そして、もし人がさらに向上しようと欲するならば、苦痛をして賛美に変え、火 中にあって神に感謝し、人生を回顧して思いわずらいに費やした力を、神の善と忍耐と慈愛を想起、発見するために用いなければならないのである。

そのような 回顧において、人が多くの恵みに開眼するならば、かれが知らなかったさらに多くの、いな、決して知り尽くせない恵みが存在することを確信するにいたるであ ろう。

ヨルダン社 : P.T.フォーサイス 著 : 「祈りの精神」より