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私たちが果たすべき責任

 「母子連れのクマが山から下りてきたので今朝は森を通らずに登校するように」----カナダの北バンクーバーに住んでいた当時、子どもたちの学校から、時折こんな連絡を受けた。
 ほどなく森林警備隊員が現場へ赴き、ダート銃でクマを眠らせ山に連れ戻して一件落着。何の騒ぎも起こらない。北米では、付近に森のある地域でクマが目撃 されるのはごく普通のこと。生ごみや落下果実など、クマの餌となるものを放置してはならないというルールも住民の生活に根づいている。

 1962年に初めて日本へ来たとき、私はこのような工業先進国、しかも四方を海に囲まれた島国に2種類のクマが生息していると知って深い感銘を受けた。
 それは取りも直さず森や川を大切にしてきた証しだからだ。しかし、長野の黒姫に居を定めて24年、私はすさまじい自然破壊とそれがもたらした結果に幾度となく打ちのめされた。クマが罠(わな)に捕らえられ、射殺されることも、その一つだ。

 今年、我々の地元で、クマに襲われて1人の男性が命を落とし、大変な動揺に見舞われている。私たちは今こそ、その悲劇の背景にある事実----クマがなぜ里に現れるのかを真剣に考えなくてはならない。

 昭和に至るまで、日本にはアユ、サケ、イワナの遡行(そこう)する川や支流が何百、何千とあった。しかし、相次ぐダムの建設で、そうしたクマの餌場が次々に奪われている。

 もう一つ、声を大にして言いたいのが、この国の植林事業の問題だ。広葉樹と針葉樹の混ざり合った昔ながらの天然混交林が次々と針葉樹の単一林に姿を変え ていく。それが、どれほど自然の生態系を乱すことになるか。餌となる実をつけない植林。伐採後、放置されて荒れ果てた二次林。当然、クマの生息地も餌の供 給源も根こそぎにされていった。

 その一方で、生ごみが無造作に捨てられ、農家は毎年、同じ場所にクマの大好物のトウモロコシを植える。味をしめたクマがごちそうを求めてうろつくうちに、どこかの家の裏庭に行きついたとしても不思議はない。

 今年、クマとの遭遇が頻発する原因として悪天候によるドングリの不作、地球温暖化に伴う森林害虫の増殖、台風で内陸部まで吹き寄せた海水の塩害などが指摘されている。

 確かに自然の餌が足りないのは事実だろう。だが、クマは本来、雑食性の生き物。母グマが生ゴミをあされば、子グマもそれに倣う。つまり、今回の事態は、 人間の軽率でだらしない生活習慣、自然と共存しようという意志の欠如、森林の減少によるクマの生息環境の悪化などがもたらした結果なのだ。

 私たちが成すべきは、水系を再生し、川に魚を呼び戻すこと、針葉樹の単一林を混交林へと戻すこと、そして十分な人員を育成・配置し、きちんと森林の管理を行うことだ。

 豊かな川が豊かな森を作る。サケが海の栄養を川へ運び、クマがそれを森の土にかえす。自然の営みは「生命の環(わ)」で結ばれているのだ。健全な森に は、水源保護や地滑り防止、地球温暖化の原因となる二酸化炭素を吸収するという効果もあるし、昔から良質な木材や山菜などの豊かな食産物を人々に供給して きた。

 伝統的な日本人の自然観から考えても、ただクマを射殺してしまえばよいという対応の仕方は理解できない。元来日本は森の文明の国でもある。天然の森とい う生態系を破壊すれば未来に託すべき大切な財産を失うことになるのは明らかだ。同じ「生命の環」を担う者として、私たちも、自国の自然と野生生物に対して 果たすべき責任があるはずだ。 (原文は英語)

C・W ニコル : 著 : 「私たちが果たすべき責任」 : 私の視点 : 2004年10月29日朝日新聞統合版