人の話を聴く力

ミヒャエルエンデの「モモ」という書物に出てくる、モモという女の子に出来たこと、それは、人の話を聴くことです。

そういうと皆さんは、「なあんだ、そんなこと誰でも出来るじゃないか」と言われるかもしれません。しかし、本当に話を聴ける人はめったにいないものです。

モモに話を聞いてもらっていると、人々は、自分の考えが分かるようになります。モモがそういう答を引き出すような質問をしたわけではありません。彼女はじっと座って、注意深く聞いているだけです。

その大きな黒い目は、相手をじっと見つめています。すると相手は、自分のどこにそんな考えが潜んでいたのかと驚くような考えや見方が、すうっと浮かび上がってくるのです。

モモに話を聞いてもらっていると、どうしたらいいか分からず、思い迷っていた人は、急に自分の考えがはっきりしてきます。

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引っ込み思案の人には、急に目の前が開け、勇気が出てきます。
不幸だと思っている人、悩みのある人には希望と明るさが差し込めてきます。

たとえばこのように考えている人がいたとします。

自分の人生は失敗で、何の意味もない。生きていても何の役にも立たないし、自分は何の値打ちもない者だ。

こういう人が、モモのところに行って、その思いを打ち明けたとします。するとしゃべっているうちに、不思議なことに自分の考えが間違っていたことが分かってくるのです。

いや、わたしはわたしで、世界中の人間の中でわたしはひとりしかいない。だからわたしはわたしなりに、この世の中で大切なんだ。

こういうふうにモモは人の話が聴けたのです。

実はミヒャエルエンデは、ドイツのシュタイナー学校を卒業し、シュタイナーの考えが彼の思想に大きな影響を与えていると思われます。

そこで、シュタイナーの『いかにしてより高次の世界の認識を獲得するか』という本のなかの「他の人間の語る言葉に耳をかたむけるありかた」という部分を引用してみます。


そのさいには、自分自身の内なるものが完全に沈黙するようになる習慣が、身につかなければならない。だれかが意見を言う、ほかの人がそれを聞くとき、ふつうは聞く人の心のなかに賛成、反対のどちらかの反応がうごめくものである。

また多くの人たちは、ただちにその賛成や、とくに反対の意見を外に表わしたい気もちにかられてしまうものでもある。しかし、この道の修行を志す人はこうした賛成や反対の気分をすべて沈黙させねばならない。

……ひとつの練習として、ある期間自分と正反対の考えに耳をかたむけ、いっさいの賛成、とくにいっさいの否定的判断を完全に沈黙させる行をみずから課する。

いっさいの合理的な判断が静まるばかりでなく、悪、拒絶、いや賛成の気もちも、いっさい沈黙することが大切である。とくにほんとうに注意深く自己観察をする必要があるのは、そうした感情がたとえ意識の表面にはのぼらないようでも、自分の心の奥深いところにひそんでいはしないだろうか、という点である。

たとえば、なんらかの意味で自分よりずっと低いところにいる(と思っている)ひとの発言に聞き入りながら、知ったかぶりや優越のあらゆる感情を抑える練習が必要となる。

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86年に、ミヒャエルエンデさんが日本に来日されたとき、
ある方が尋ねました。

「エンデさん、あの聞く力を持っているモモの秘密は何でしょう。

そうするとエンデさんは次のようにお答えになったということです。

「モモが身に付けていたような、人の話に聞き入る力、その秘密は、自分をまったく空にすることにあります。それによって、自身の中に他者を迎える空席が出来ます。そしてその相手をこの空間に入れてあげます。モモは、そうやって彼女の中に入ってくるものが、良いものか悪いものかと問うことをしません。」

前述のシュタイナーの書物にも、次のように言われています。

こうして人間は、自分をまったく無にして他者の言葉を聞けるようになる。自分のこと、自分の意見や感じかたを完全に排除して。自分と正反対の意見が出されるとき、いや「およそひどいこと」がまかり通るときですら、没批判的に聞き入る練習をしていくと、しだいに、そのひとは他者の本質と完全に融けあい、すっかりこれと合体する。相手の言葉を聞くことによって、相手の魂のなかにはいりこむ。

そこで『モモ』にもどると、モモは、はじめ人間の声に耳をかたむけています。

それが相手の人間に作用をおよぼしはじめると、次は、動物たちに聞き耳をたてるようになります。歌を忘れたカナリアに一週間のあいだ、聴こう聴こうとしていると、カナリアはついにさえずりだしたのでした。

犬や猫に、そしてこおろぎやひきがえるに、と耳をすましてモモは聞く力の限界をひろげます。それから次は、木々の音、雨や風の自然現象です。「するとどんなものでも、それぞれの言葉でモモに話しかけてくる」ようになりました。

またべつのときのことです。小さい男の子が、歌を忘れたカナリアをつれてモモのところにやって来ました。こんどのは、いままでのよりずっとむずかしい仕事でした。カナリアがやっとまたたのしそうにさえずりはじめるまでに、モモは一週間ものあいだ、じっとカナリアのそばで耳をすましていなければなりませんでした。

モモは犬や猫にも、コオロギやヒキガエルにも、いやそればかりか雨や、木々にざわめく風にまで、耳をかたむけました。するとどんなものでも、それぞれのことばでモモに話しかけてくるのです。

友だちがみんなうちに帰ってしまった晩、モモはよくひとりで長いあいだ、古い劇場の大きな石のすりばちの中にすわっていることがあります。頭の上は星をちりばめた空の丸天井です。こうしてモモは、荘厳なしずけさにひたすら聞きいるのです。

こうしてすわっていると、まるで星の世界の声を聞こうとしている大きな大きな耳たぶの底にいるようです。そして、ひそやかな、けれどもとても壮大な、えもいわれず心にしみいる音楽が聞こえてくるように思えるのです。

そういう夜には、モモはかならずとてもうつ<しい夢を見ました。